2020年末〜2021年始、積読本消費状況

読んでも読んでも減らないけどねw
買っちゃうからw
新たに仕入れちゃったから、上げるわ。w

マルクス・ガブリエル本
『全体主義の克服』(マルクス・ガブリエル、中島隆博共著というか対談本、集英社新書)
『新実在主義』(マルクス・ガブリエル著、岩波新書)中断

『ゲンロン戦記』(東浩紀著、中公新書ラクレ新書)

コロナ本
『新型コロナからいのちを守れ』(西浦博/聞き手;カワバタヒロト、中央公論新社)
『「首都感染」後の日本』(高嶋哲夫著、宝島社新書)
『首都感染』(高嶋哲夫著、講談社文庫)
『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』
(峰宗太郎・山中裕之共著、日経プレミアシリーズ)


いじめ本
『ぼくが見つけたいじめを克服する方法』(岩田健太郎著、光文社新書)
世界標準から見て、日本がどれだけ狭い価値観に縛れてるか。

算数本
『眠れなくなるほど面白い 大人のための算数と数学』(小宮山博仁;監修、日本文芸社)

百人一首本
『百人一首 解剖図鑑』(谷知子著、エクスナレッジ)
これらさえ知っていれば、古典はバッチリさ。

毎日読んでんのに、この程度よw

スキマ本
『ゴールデンカムイ24巻』
こりゃ子供に見せられんw

『書きたい人のためのミステリ入門』(新井久幸著、新潮社新書)
中断。これは知ってることばっかだな。
’90年代に第三次ミステリブームの時に色々読んだからな。

スピノザ本
『はじめてのスピノザ』(國分功一郎著、講談社現代新書)
サックリ読めたので、『中動態〜』を再開。
理解が進むな。

民主主義本
『民主主義とはなにか』(宇野重規著、講談社現代新書)
これは、勉強のために・・・とはいえ、読み途中。
『現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか』(佐伯啓思著、NHKBOOKS)
中断。BookStreetで購入した。収穫本の一つ。戦後民主主義が定着しないという批判本。

その一方で、再開本も・・・
『中動態の世界 意思と責任の考古学』(國分功一郎著、ケアを開くシリーズ、医学書院)
また中断。

時間本
『時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて』(高永裕一著、講談社ブルーバックス)
も読み途中

自伝の欠片 読書好き起源その2

子供を本好きにしたいなら、子どもが読みたい本を選んではいけない。
そして、読みたがっている本にケチをつけてはいけない。
そんなのよりこっちが良いよ、これ読みなよなんて勧めてはいけない。

どれもこれも本離れにする。

それに加えて、親が本好きであることが必須。本に価値を見出してないのに、子どもが本好きになるわけ無いでしょ。

私も父の本読んでた。西村京太郎シリーズとか、魔界転生とか、犬神家の一族とかw相当、マニアック

そして、今は日本文学全集をいただきましたよ。読んでないけどな。w積ん読っていうか、資料本っていうか、教養本だから。文学史の資料だな。
私の全集好きが高じて、原色百科事典が愛読書だったり、何年も『イミダス』読者だったし、大学時代には、イミダス国際セミナーも行きましたね。父の芸術百科(?)も愛読書でした。『現代用語の基礎知識』とかも読みましたね。辞書的なもの。大好きです。

今やウチの本棚、図書館みたいですよ。
『全集 日本の歴史』(小学館刊)とか、『岩波講座日本通史』とか、『岩波講座東洋思想』(岩波書店刊)とか、『哲学の歴史』(中央公論新社刊)とか、資料本だらけやな。w
ほぼほぼ読んでないけど、開いてうっとりして戻す。w

嘗ては、『月刊ムー』の読者だったんですよ。中2病的〜w初号から6百数十号まで毎月買ってましたからね。父と本屋行って買ってもらう習慣でした。処分してもったいなかったな〜。結婚相手の理解を得られなかった。本の物量がね。離婚したから、持っておけばよかったと思うけど、麻原の空中浮揚載ってましたね。宣伝してた。まさかあんな事件起こすとは思わなかったよね。上の子を妊娠中で、しばらく地下鉄乗るなって言われたよね、当時の上司に。そんな時代ですわ。

中2病的教養を身に付けるには、キリスト教とか仏教とか必須よね。しかも、原始キリスト教、原始仏教な。グノーシスだって、キリスト教的教養の一部よ。それもこれも、元々はムー的教養よ。w哲学やってるみんなー!ムーを通ってきたよねー?王道がギリシャ哲学なら、ムーは裏道脇道最短ルート。三上編集長、ありがとう〜!

 

自伝の欠片 読書好き起源

再三再四言っていることだが、『マルタの鷹』(著;ダシール・ハメット)を図書室の床に座って、貪るように一気に読んだのが最初の読書体験である。小学生がハードボイルドを読むなんてませてんなw

その後、そのシリーズをどんどん読んでいったのは言うまでもない。

そして、印象的な出来事が起こる。

ある日、家に帰ると鍵が閉まっていて、母はどこかに外出中であった。私は、ドアの前に座り込んでシクシク泣いていると、隣の佐藤さん(仮名)のお母さんが「おいで」と呼んでくれた。家に上げてくれて、紅茶とお菓子を出してくれたと思う。そして、佐藤さんのお姉ちゃんの本、少年少女世界文学劇場というたくさんの本のシリーズを一式くれたのだ。その中で、『クリスマスキャロル』(著;ディケンズ)が大好きになった。挿絵も美しく、文体も読みやすいものだった。そうこうしているうちに母が帰ってきて、家に帰れることになった。両腕に抱えるようにして、沢山の本をお土産に頂いて。海外文学は、身近にあったのだ。

そして、ポプラポケット文庫や青い鳥文庫のお世話になってきた。思えば、付き合いは長い。今、ウチには、『クリスマスキャロル』(著;ディケンズ)があるが、『せむしのこうま』(著;エルショーフ)

も長い間探している。子共の時に読んだが、また読みたいのだ。これは、『イワンのばか』(著;トルストイ)も読みたい。子供向けにしたものだ。どこかに売ってないかな?本当に欲しいの。

新訳も心惹かれるんだけどね。やっぱ、子供の頃に読んだ本が読みたいと思うのは、老化故だろうかw

『日本史誕生』(集英社)は小学館の『日本の歴史』に似てる

『日本史誕生 集英社版日本の歴史①』(1991年集英社)は、カラー図版が多くて、状態も良かったので買った。2019年10月度のブクスト収穫本。カラー図版がステキ。これだけ眺めてても楽しい。
紙質と製本が『日本の歴史』(2007年小学館)みたいで、スベスベした肌触り。版型も同じL版。行間広めで書き込みやすく、老眼でも問題なしw2019年10月28日から読み始める。

章立て

第1章日本列島の旧石器時代
第2章縄文文化の誕生
第3章山の幸・海の幸を求めて
第4章縄文のムラと社会、くらしと祭り
第5章アジアの中の縄文文化
第6章縄文人から現代人へ
第7章稲作文化の伝来と展開
章だけ見ていくと、旧石器時代から弥生時代なのかなという感じ。

第1章日本列島の旧石器時代

石を削って石器を作っていたのは知っていたが、そこから更に細石刃文化なんていうものがあったとは驚き。しかもその技法が、中国からの南方ルートとシベリアからの北方ルートがあるとは更に驚き。獲物とともに石器製作技術を持った人が流入してきたんだろうな。そんなことを思うとなんだかステキ。旧跡時代人の頭骨と復元は上野の国立科学博物館で見た。科博大好き。北海道博物館も大好きだけどね。

第2章縄文文化の誕生

第3章山の幸・海の幸を求めて

植生が違うために、東日本(ナラ林主体)と西日本(ドングリ林主体)で摂取できた栄養が違ったらしい。栃の実のアク抜きの仕方まで解説してあって、砕いて、茹でて、灰汁で茹でて、デンプンを沈殿させてトチ団子作って・・・あ〜こんなに気の遠くなるような工程でもって食べていたのか・・・近年まで。ドングリのアク抜きの方法も解説してあって、砕いて、水で晒して、デンプンを沈殿させて・・・こっちも気が遠くなるような工程・・・何もしないで食べられるクマは凄いね。歴史の本と思っていたら、野生食の解説まで書いてあるなんて、なんてステキな本だったんだ。

第4章縄文のムラと社会、くらしと祭り

第5章アジアの中の縄文文化

第6章縄文人から現代人へ

第7章稲作文化の伝来と展開

日本古代史は面白いね(※読了したので追記しました)

『日本古代史の旅1 日本誕生』を読んでいました(2019.10.28読了)。
小学館から昭和50年に刊行された本。古過ぎて、amazonにもなさげ。
昨日(2019,10,26)ブックストリートで100円で入手した本。

章立てとしては、
「古代への視点」
「古代の気候」
「古代アイヌと呪術的世界」
「日本列島と大陸」
「日本語成立のなぞ」
どれも興味深い。まず、アイヌを読んで、次に気候を読んでいます。なので、最初から順番にという読み方ではない。興味あるところから読んでいます。資料本だから、それで良い。今後は、各章を読み終わったら感想を書き連ねていくこととしたい。何冊も平行読みなので、行きつ戻りつして、不定期で更新されることがあります。

「古代への視点」

日本固有の文化とは一体何なのか、日本人とは何なのか。
仁徳天皇陵といわれる大仙陵古墳が発掘できればいいのに・・・。

「古代の気候」

植物の花粉や種などの有機物で炭素年代を出したり、木の年輪や生育具合で気候を推測するそうだ。巨木はそうそうないから、寺社仏閣の修復の際に柱とか梁とかの断面を見るそう。ほほぅ。

「古代アイヌと呪術的世界」

そもそも日本民族なんていうものは、自然人類学的には、確たるものじゃない(モンゴロイドの一種)ということが、ネトウヨさんたちには受け入れ難いからこそ、日本人スゲーって言いたいんだろうな・・・ここにも彼らには受け入れ難いことが書いてありましたよ。上皇陛下もおっしゃいましたがね。
まぁ、そもそも、日本という国号を最初に使い始めたのは、東北エミシが対外的にヒノモトと言ったと別の本で読みましたが・・・
アイヌの神話、ユーカラで人祖神について触れられていました。アイヌ神話、もっともっと読みたいと思いました。

「日本列島と大陸」

氷期には大陸と陸続きになって、ナウマンゾウやヘラジカが渡ってきて化石が残っているということ。野尻湖のナウマンゾウ化石は有名。北海道内で出た全身骨格の化石は、北海道博物館の入ってすぐのところに展示されていますね。

「日本語成立のなぞ」

大陸の言語とは関連性を保たない独立した言語であるということ。しかも、ウチナーグチとアイヌ語も系統的に孤立した言語らしい。ウチナーグチは一大方言地域ということらしいが。音韻変化や文法が言語学的には重要なルールであり、借用と同列であることの区別がつく。インド・ヨーロッパ語族のように陸続きで隣り合ってると影響し合うが、島国になったことが、幸か不幸か。

読書の原体験〜その1〜

2017年5月30日金曜の夜、第1回ブクラボ作戦会議があって、北海道の貧相な読書環境をどうやったら豊なものに変えていけるかを話し合った。

その中で、参加者の皆さんの読書原体験を聞いて、ヒントとなるようなことがないかを探ったりした。その時、私には聞かれなかったけど、ここに思い出せる限り披瀝してみたいと思う。

読み聞かせる父

子供の頃、寝る前に本を読み聞かせてくれたのは父でした。『◯◯の昔ばなし』という本に載っている昔ばなしを、一話ずつ、毎晩、私と妹に読んでくれました。如何せん、子供の頃の記憶なので、版型も出版元も今や不明で探し出せません。印象に残っているのは、『植物の昔ばなし「さくらんぼの種を飲んだ男の話」』で、頭から桜の木が生えてきて、花見を楽しんだ後、引っこ抜いたら穴が空いて、雨が降ったら水が溜まり、その池に自分で飛び込んでおしまい。自分の穴に自分で飛び込むってどういうことだ?!と衝撃に思ったのでした。どこの昔ばなしだったのかな〜?ていうか、どんなにググっても、本が見つからないんだよね。絶版なのは確実なんだが。

年末年始は読書

年末には、毎年、本を買ってもらった。最初はコミック雑誌。私は『りぼん』、妹は『なかよし』という感じ。成長するにつれて、私は『ミステリーマガジン月刊ムー』、妹は『別冊マーガレット』(だったかな?)。お年玉と一緒に本をもらうのだった。そして、初売りにお年玉でまた本を買う。やはり、街に本屋は必要。

『◯年の学習』『◯年の科学』定期購読

学習研究社(いわゆる学研)の『〜科学』と『〜学習』を定期購読していた。私の分と妹の分。家庭的には相当な出費だったのではないかと思われるが、学習塾より本を潤沢に与える方を選んだのだろう。付録の実験教材は本当に面白く、自分で勝手に学んでいたように思う。副読本も面白かった。妹はサッパリだったが・・・お人形遊びの方が好きそうだった。まぁ、好みの問題ですよね。それでも、『〜科学』と『〜学習』は止めなかったんだから。一応、『〜科学』は理系、『〜学習』は文系という括りのようですが、どちらも面白かったです。休刊という名の廃刊になって非常に惜しい限り。

学校の図書室

学校の図書室で初めて出会ってガツンと来て、棚を背もたれにして床に座り込んで、むさぼり読んだのは、ダシール・ハメット『マルタの鷹』だった。勿論、児童向けにリライトされてるだろうものだったが、物凄く面白く、その面白さは衝撃的だった。今となっては、ハードボイルドなんて読んでいたのかと思うが、それ以降、アガサ・クリスティも読んだし、シャーロック・ホームズも読んだ。ミステリーへ誘ってくれた本だったかも。こういう本との出会いがあるのが、学校図書室なんですよ。次々と本を読める天国〜♪な空間。

原色百科が愛読書になる

小学校高学年時、私の愛読書は原色百科事典だった。重くて分厚い本を床に広げて、寝そべって、隅々まで読むのが楽しかった。本に対象年齢なんて関係ない。難しいから子供には無理とは思わずに、読めるなら読ませておけば良い。

書店は父と

そのうち、毎月買ってもらったり、お小遣いで買うようになったので、毎月、父と書店に行くのが恒例になった。今なら完全に中2病的だが、学習研究社『ミステリーマガジン月刊ムー』の創刊号からの愛読者だった。TV見ながら、本読んでたクチ。wその頃は、ユリ・ゲラーとか流行ってたしね。超能力なんてあったら凄いなと思いながら、父には「そんなのあるわけないよ」なんて冷たい反応されてw、どこか懐疑的に見ていたせいか、スプーンは曲がらなかったけどねwww父と書店に行って創刊号を見つけた別の版元さんの『トワイライトゾーン』っていうのもあったけど、先に休刊になった。もう少し難しく書かれた新人物往来社『AZ』も創刊号から暫く買ってましたが、やはり休刊になりました。これはまだ家にあります。こんな中で生き残ってる『ムー』は凄いですよ。wオカルト誌の鉄板だな〜。そして、オカルト雑誌の盛衰を網羅したサイトでもっとあったことが判明。

父の本を借りて読む

中高校生あたりになると、父が読んだ本を読むようになった。横溝正史『犬神家の一族』も読んだかな〜?『魔界転生』山田風太郎も映画化された時に読んだ。1981年の映画は主演千葉真一・沢田研二、監督深作欣二の時代だ。内田康夫の十津川シリーズも読んだか。ミステリー読みになったのは父の影響だったんだな。ほぼ読んでなかったけど、日本文学全集から、『細雪』とか引っ張りだして読んでみたり。西洋美術全集を片っ端から眺めて、西洋絵画の教養を身に付けようと試みたり・・・。父の本は私のもの、私の本は私のもの・・・ジャイアンかwww

実家にいる間のことはここまで・・・

実家にいた時の私の部屋は、今よりは少ないけど、やはり本棚に囲まれていました。

3.11は6周して7周目に入ってようやく動き出す自分

前回の投稿が、一昨年のことで、しかも、やはり3.11にまつわることだった。またしても今回も3.11関連の投稿です。勝手な感慨ですのでご容赦ください。予めお断りしておきますね。

今日2017年3月13日月曜、3.11映画祭北海道開催江別会場にて『太陽の蓋』という映画を見てきたのであります。これ、フクイチの事故の顛末、事実に基づいたフィクションなのです。
3.11の地震と津波、東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウンと水素爆発、第三原子炉の爆発、第四発電所の火災、首相官邸災害対策本部と東電本店、当時の民主党菅政権での対策本部、取材する新聞記者、フクイチの現場、フクイチに働く若者とその家族の避難、どれも重いテーマで、それぞれに物語があり、それぞれの思いが錯綜する。

前日2017年3月12日日曜、NHKスペシャル『メルトダウン 12日間の迷走』を見たので、東電、フクイチの現場、首相官邸の遣り取りをまた見るという展開になった。(NHKオンデマンドで有料視聴可能)

Nスペでフクイチの吉田所長の役をやっておられた役者さんが、『太陽の蓋』では枝野さんの役で出演しておられて、この役者さんは、この2つの役を演じて、どう感じたかな〜?と思ったりしました。

フクイチの事故の当時、東電本店⇔フクイチ・柏崎刈羽がTV会議をしていたのだが、当初、首相官邸災害対策本部は蚊帳の外。東電本店と各発電所は、NTTの専用線で通信は確保されていた。全体を体系的に把握するはずの東電本店ですが、溢れかえる情報の中でただ右往左往していたのかもしれない。こういう危機的状況では、冷静に状況を見られる人がいれば良かったのにね。今後の課題ですよね。

東電は、各原発の作業員の線量管理をしており、次第に許容量いっぱいになっていくのを目の当たりにしていたはずである。線量管理の担当部署であれば、作業員に悪性腫瘍が発生したら、放射能が原因したか、年齢故か、体質故かやきもきするのではないかな?しないのかな?訴訟があって、北海道在住の原告だったが、放射能が原因とは必ずしも言えないといって敗訴になった元原発作業員がいた。法曹界も結託して、原発で働く人、原発の周りで暮らしていた人びとを見捨てるのかな?と思ってしまった。復興相も、6年支援したんだから、今後の自主避難は各自の判断と言い放った。この人は、後日、東北だったから(まだ)良かった、首都圏だったら(もっと大変だった)という配慮に欠ける発言で事実上の更迭となったわけだが。都道府県が主体的に自主避難者を支援する体制にするということなのだが、原発は国策だったのに、本当にバックアップしてくれるのかイマイチ信用できない。原発は、各電力会社の事業だよと投げちゃったり。

3.11から5年位は、重過ぎて関連書籍を読めなかった。触発された論壇、思想界隈の本を読めなかった。読む気持ちの余裕が持てなかった。9.11直後は色々読んだのにね。読めなかったよ。『東京ホワイトアウト』『東京ブラックアウト』(若杉烈)とか読みたかったけどね。7年目に入って、読みたくなってきた。原発関連、東電関連、地学関連、防災関連、・・・思想界隈のも読み始めようと思う。

そう思い始めて、最初に入手したのが、『ゲンロン0 観光客の哲学』だったりするのは何なんだろうね。www楽しいだけの観光じゃなくて、震災の記憶を辿る旅としての観光もあって良いと思うからかな。ダークツーリズムも含めて、辛い記憶、悲しい記憶、空虚感、恐怖感を受け止める気持ちの準備ができたのかも。何より、事実を知りたい。あの日、何が起きたのか。何を犠牲にしたのか。それによって自分達が生きているということを何よりも知りたい。

書き始めてから、随分経ってしまったけれども、そろそろとあの日のことを見つめ直すということに思い至りました。

5年前に変わってしまったのは東北だけか?

今日2016年5月22日に、東北から北海道占冠(シムカップ)に自主避難してきたクライマーご夫婦のインタビューを拝見した。自主避難だと、東電からの補償金が40000円だった。家をなくして、被爆の実害を受けたのにこの金額。残っている人もいる、避難せずに生活再建してる人もいるとなると、自主的に避難してしまうと、補償金はそんな微々たる金額になってしまうのだなと驚いた。東北の被災者でさえそうなのだ。
東北の人でなくても、関東地方にいても被害はあったと思うし、何よりあれだけの大きな地震と津波と福島原発の爆発があったことはショックだったのだ。

地震後、暫くの間、計画停電があり、居住区によって停電したり通電したり、停電もあったりなかったり、非情に不安定な生活を強いられた。身構えていても「停電なかったね」という日があったり、物資が不足することはないとされながらも、関東地方に於いても、水やトイレットペーパーの買い占めが起きた。備蓄しておかなければ、普通に買えない状態に一時期陥ったのだ。物資の供給不足は、すぐに回復されたのだが、馬鹿げてると思いながらも、あちこちのスーパーや薬局を探し回るような物資不足は不便だった。高齢の女性が自転車の荷台いっぱいにトイレットペーパーとティッシュを積んでいるのも見かけた。バカじゃないのと思った。その日は、自分は駆けずり回ってもトイレットペーパーを1パックも買えなかった。

福島原発から遠くても、雨が降れば、放射線量が高くなるホットスポットがあると言われるようになり、埼玉県でも、保育所等の公共施設に線量計が置かれ、毎日計測して、掲示されるようになった。微々たるもので、自然線量程度だったので、居住地域にホットスポットができることはなかったと思うが、それでも、降る雨には放射能物質が含まれているかもと恐れた。

あれ以来、首都圏の電車も頻繁に止まるようになった。関東地方は公共交通機関が発達していて、主な通勤手段は電車なのだ。それが、人身事故、踏切故障、ポイント故障、車両故障、飛翔物、火事・倒木、止まらない日はないほどだ。よくこんなにあちこちで人身事故があるな〜と思うと、SNSには、「また飛び込みか」などと入ってくる。通勤に遅刻する、保育所のお迎えにも間に合わない、そんな毎日が続くと本当にウンザリした。毎日、誰かに謝っていた。遅れてすみません。若しくは、電車が遅れなければ、無駄に早く着いたり。早く着いたところで勤務に入れず、虚しい時間を過ごすのだ。通勤ということだけにどれほどの時間を読み込めば良いのか。そんな毎日の中で、失業してしまえば、もはや都内への通勤は考えられなくなった。子育てに支障を来す。生活の糧を稼ぐのも大切だが、子どもが小さいこともあって、「子育て>>>仕事」になった。

数カ月して日本全国の原発が止まり、停電が起きることもなくなった。あの計画停電は何だったのだろう。事業者契約だと、使えば使うほど電気料金が安くなったというのだから、事業者が節電すれば、電力消費が減ったのかもね。一般家庭の節電なんて微々たるものだったのに、節電呼びかけなんてチャンチャラおかしいことだった。

だが、もう電気のことや地震が頻発すること、通勤のために気を揉むことにも疲れ果てた。完全に疲弊していた。移住するしかない。この土地、この地での生活から自由になろうと思った。被災者ではないけれども、自主避難だ。地震後、暫くは被災者ではないものの放射能を恐れる意識高い系の方が関西や九州へ自主避難するという話もチラホラ聞いていた。それと同じ。西じゃなくて、北に避難するわけだけれども。幸い、泊原発は再稼働していない。

川内原発は再稼働してるし、熊本〜大分では、群発地震が起きているし、あの時期に自主避難された方々はどうなっているのだろうか?今後、東海東南海地震が懸念され、首都直下地震もいつかはわからないが必ず起きると言われている。東北も終わっていないが、生きていくなら北海道ではないかと考えた。移住先人気No.1は長野県だけどね。長野人気は首都圏にもそこそこ近いということも理由だろう。首都圏に遊びに来ている時に限って災害が起きたらどうする?3日間は帰れないのよ。帰宅難民よ。あ〜も〜、無理でしょ。食料自給率180%の北海道。魅力だよ。行けば何とかなりそうと思えた。

まさか、札幌近郊江別市が、こんなに豪雪地帯だとは思わなかったけどね。www春の強風もハンパないわw

簡単ブックカバーの作り方

今回は、ブックカバー作家らしく、お手軽なブックカバーの作り方をご紹介しましょう。

文庫サイズのブックカバーを作って、本棚に統一感を演出してみましょう。

まず、A4サイズの紙を用意します。今回は、普通のコピー用紙しかなかったので、これを使いますが、ナチュラルな感じにしたいなら、クラフト紙などが良いでしょう。

長辺の真ん中に印をつけます。

上の長辺に合わせて本を置きます。


下の長辺を本の下辺に合わせて折ります。

折った下の長辺に合わせて本を置いて、上の長辺を本の天辺に合わせて折ります。


ひっくり返して、開いておきます。

長辺の真ん中の印を目安に、折り紙を貼ります。糊付けでも、両面テープでもOKです。今回は、下地の紙に平行に貼りましたが、敢えて、ずらして斜めに貼っても良いですよ。


上下の長辺を折って、本に巻いたら、短辺を合わせます。


本の口をなぞるように跡をつけると折り込みやすいです。表を折り込んだら、裏も同様に。カバーを引っ張るようにすると、ピッタリ折り込むことができます。



本棚によって、シリーズによって、折り紙を統一すると、統一感が出ます。折り紙も、100円ショップにたくさん種類があります。レースペーパーや、ぬりえになっているものや、和柄、洋柄など、選ぶのも楽しいですよ。皆さんも、お試しあれ。


投資は投機のためなのか?

経済学系の本を読むとさ〜、格差は広がるばかりで、縮小させられる気配は微塵も感じないわね。

どういうことかって

『21世紀の資本』(トマ・ピケティ)では、r>gで、働いて稼ぐより、資本を投資して得る収益の方が断然多いって書かれてて、働いて稼いでも確かに生きていくだけで精一杯になったなぁ〜と感じる。まだ、読み終わってないんだけどね(^ー^;)

『21世紀の不平等』(アンソニー・B・アトキンソン)も買ったは良いけど、まだ読んでなくて(^ー^;)アトキンソン師匠の提言は、アベちゃんには届かないだろうな、クルーグマン先生を呼んで話し聞いたくらいで、噛み合ってなかったらしいからと思ったり。

ヒルファーディングが、投機は大衆の参加なしには繁栄し得ないと言っているように、預貯金じゃなくて、株式投資を促そうとしているのは、電子取引で瞬時に収益を上げられる投機に吸い上げられるためじゃないの?と穿った見方をしてしまう。ジュニアNISAなんて、小金持ちが子供に投資教育をしようとしてるけど、投機の餌にされちゃうんじゃないの?と余計な危惧を抱いてしまう。

かつて、公社の民営化で株の売り出しの時、買っとけば良かったかな?と思ったが、旧公社好きじゃないから、そんなところに投資したくなかったんだっけと思ったり。NTT株やJT株買った人たちは、まだ持ってるのかな?とっくに売っちゃったかな?w 20数年前くらいに個人年金ブームというか年金は個人投資で賄いましょうという政策転換が起きた時、まだまだ個人投資は今ほど盛んじゃなかった。今や年金原資も殆どを株式投資で運用していて、投機の餌にされかけとる。大損こいたけど、得した時もあったから、差し引きトントンか若干増だなんて言ってたけど、そんなところに年金原資を預けたくないな〜と思うよね。そのうち取り返しがきかないくらいの大損しちゃうんじゃないかと。金融工学で瞬時に莫大な利益を上げるトレーダーに太刀打ちできるわけない気がするんだよね。

株式投資も良いけど、スタートアップに投資するとか、ソーシャルアクティブに投資するとかいう投資教育もあると思う。起業して失敗すると、再起不能にならずに、再チャレンジできる社会にしないと、投資なんて定着しないよね。失敗を恐れるから、起業を躊躇うんだし、再チャレンジできないなら最初からチャレンジしないよね。何故、投資するのか。どういうところに投資するのか。そもそも投資するとはどういうことなのか。企業を育てていくという気概がないとね。

日本という社会は、子育てに関しても、新入社員に関しても、企業にしても、育てるということに無頓着で、草木のように自然に育っていくものだみたいに考えてないか?人為を重要視しないというか、自然が豊か過ぎるのも考えものだね。利用することしか考えてないみたいだ。子育ても、人材育成も、企業も、自然も、投資して手をかけて目をかけて育てていかないと、思うようにはならないと思うよ。

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