2017年5月30日金曜の夜、第1回ブクラボ作戦会議があって、北海道の貧相な読書環境をどうやったら豊なものに変えていけるかを話し合った。
その中で、参加者の皆さんの読書原体験を聞いて、ヒントとなるようなことがないかを探ったりした。その時、私には聞かれなかったけど、ここに思い出せる限り披瀝してみたいと思う。
読み聞かせる父
子供の頃、寝る前に本を読み聞かせてくれたのは父でした。『◯◯の昔ばなし』という本に載っている昔ばなしを、一話ずつ、毎晩、私と妹に読んでくれました。如何せん、子供の頃の記憶なので、版型も出版元も今や不明で探し出せません。印象に残っているのは、『植物の昔ばなし「さくらんぼの種を飲んだ男の話」』で、頭から桜の木が生えてきて、花見を楽しんだ後、引っこ抜いたら穴が空いて、雨が降ったら水が溜まり、その池に自分で飛び込んでおしまい。自分の穴に自分で飛び込むってどういうことだ?!と衝撃に思ったのでした。どこの昔ばなしだったのかな〜?ていうか、どんなにググっても、本が見つからないんだよね。絶版なのは確実なんだが。
年末年始は読書
年末には、毎年、本を買ってもらった。最初はコミック雑誌。私は『りぼん』、妹は『なかよし』という感じ。成長するにつれて、私は『ミステリーマガジン月刊ムー』、妹は『別冊マーガレット』(だったかな?)。お年玉と一緒に本をもらうのだった。そして、初売りにお年玉でまた本を買う。やはり、街に本屋は必要。
『◯年の学習』『◯年の科学』定期購読
学習研究社(いわゆる学研)の『〜科学』と『〜学習』を定期購読していた。私の分と妹の分。家庭的には相当な出費だったのではないかと思われるが、学習塾より本を潤沢に与える方を選んだのだろう。付録の実験教材は本当に面白く、自分で勝手に学んでいたように思う。副読本も面白かった。妹はサッパリだったが・・・お人形遊びの方が好きそうだった。まぁ、好みの問題ですよね。それでも、『〜科学』と『〜学習』は止めなかったんだから。一応、『〜科学』は理系、『〜学習』は文系という括りのようですが、どちらも面白かったです。休刊という名の廃刊になって非常に惜しい限り。
学校の図書室
学校の図書室で初めて出会ってガツンと来て、棚を背もたれにして床に座り込んで、むさぼり読んだのは、ダシール・ハメット『マルタの鷹』だった。勿論、児童向けにリライトされてるだろうものだったが、物凄く面白く、その面白さは衝撃的だった。今となっては、ハードボイルドなんて読んでいたのかと思うが、それ以降、アガサ・クリスティも読んだし、シャーロック・ホームズも読んだ。ミステリーへ誘ってくれた本だったかも。こういう本との出会いがあるのが、学校図書室なんですよ。次々と本を読める天国〜♪な空間。
原色百科が愛読書になる
小学校高学年時、私の愛読書は原色百科事典だった。重くて分厚い本を床に広げて、寝そべって、隅々まで読むのが楽しかった。本に対象年齢なんて関係ない。難しいから子供には無理とは思わずに、読めるなら読ませておけば良い。
書店は父と
そのうち、毎月買ってもらったり、お小遣いで買うようになったので、毎月、父と書店に行くのが恒例になった。今なら完全に中2病的だが、学習研究社『ミステリーマガジン月刊ムー』の創刊号からの愛読者だった。TV見ながら、本読んでたクチ。wその頃は、ユリ・ゲラーとか流行ってたしね。超能力なんてあったら凄いなと思いながら、父には「そんなのあるわけないよ」なんて冷たい反応されてw、どこか懐疑的に見ていたせいか、スプーンは曲がらなかったけどねwww父と書店に行って創刊号を見つけた別の版元さんの『トワイライトゾーン』っていうのもあったけど、先に休刊になった。もう少し難しく書かれた新人物往来社『AZ』も創刊号から暫く買ってましたが、やはり休刊になりました。これはまだ家にあります。こんな中で生き残ってる『ムー』は凄いですよ。wオカルト誌の鉄板だな〜。そして、オカルト雑誌の盛衰を網羅したサイトでもっとあったことが判明。
父の本を借りて読む
中高校生あたりになると、父が読んだ本を読むようになった。横溝正史『犬神家の一族』も読んだかな〜?『魔界転生』山田風太郎も映画化された時に読んだ。1981年の映画は主演千葉真一・沢田研二、監督深作欣二の時代だ。内田康夫の十津川シリーズも読んだか。ミステリー読みになったのは父の影響だったんだな。ほぼ読んでなかったけど、日本文学全集から、『細雪』とか引っ張りだして読んでみたり。西洋美術全集を片っ端から眺めて、西洋絵画の教養を身に付けようと試みたり・・・。父の本は私のもの、私の本は私のもの・・・ジャイアンかwww
実家にいる間のことはここまで・・・
実家にいた時の私の部屋は、今よりは少ないけど、やはり本棚に囲まれていました。